その人らしく暮らせるように・・・
ごあいさつ
病院長
6月に渋谷で開催されたリハビリの学会に参加してきました。今回は学会の規模や内容だけでなく、オフィスカジュアル(ノーネクタイ)の自由な雰囲気や、急速に進化する渋谷の街並み、多くの参加者と企業の協賛など、全てが素晴らしく記憶に残る学会でした。私が所属する大学の講座が主催だったため、懇親会では大学病院時代のリハビリスタッフとも久しぶりに会うことができました。私が運転して患者さんを連れて一緒に家屋調査に行ったり、患者さんの訓練をろくに見ずに装具作製の話をして怒られたりしたエピソードなど、たくさんの昔話に花が咲きました。その中で「覚えていますよ。あの時は良かったですね。」と皆が口を揃えて言ったのは、ある患者さんについてでした。
その患者さんは、交通事故により脳外傷を負った若い方でした。運動麻痺は無く普通に歩けたのですが、注意力や記憶力、判断力が低下し、加えて失語症のために自分の思いをうまく言葉で表現できず、いつも病棟を落ち着かない様子でウロウロしていました。その行動には十分注意を払っていましたが、ある日トイレに行った後、病棟から行方不明になり、病院隣のショッピングセンターで発見されたこともありました。
彼は一人暮らしをしながら、小さなレストランで店長の仕事をしており、仕事に復帰したいと強く希望していました。言葉を含めて少しずつ症状が良くなり、スケジュールやお金の管理を練習しながらリハビリを続け、仕事復帰を見据えて病棟の他の患者さんの食器の下膳なども手伝ってもらいました。簡単な言葉の指示で単純作業が可能となり、対人技能も良好だったため、チームのメンバー全員が彼の復職を支援したいと考えていました。しかし入院中のリハビリだけでは限界があります。私は当時の上司である教授に直談判し、大学病院内の喫茶店で実習をさせてもらえることになりました。大手企業が運営しているお店でしたので、契約書類を作成し、店長と何度かミーティングを重ねた上で、担当の作業療法士をジョブコーチとして実習が始まりました。
実習の最初は頭痛や集中力の低下が見られることもありましたが、最後の頃には注文を機械で入力したり、メモを取ったり、レジでの釣り銭のやり取りなどもスタッフの見守りのもとできるようになりました。職場の社長にその様子を報告して実際に見てもらい、外来リハビリを続けながら、段階的に仕事を再開することができました。今振り返ってみても、大学病院でこのような実習を許可してもらえたのは奇跡的でしたが、後に当時の教授が大学や企業との交渉に相当尽力してくれたことを知りました。
その年の暮れ、彼の職場の社長にお願いして、病棟の忘年会を彼のお店で開催することになりました。社長の配慮で、その日は貸し切りでした。彼は一生懸命に注文を取り、食事や飲み物を運んでくれました。私たちは楽しく食事をしていましたが、誰もが彼の仕事ぶりを温かく見守り、時には下膳や食器洗いを手伝ってくれました。会の終わりに、彼にも一言喋ってもらいました。
「皆さんのおかげで…今の…私があります。今日は…ありがとう…ございました。」
失語症のためたどたどしく短かったですが、その言葉は20年近く経った今でもはっきりと覚えています。彼が入院してから多くの苦労がありましたが、この一言で全てが報われた気がしました。最後に幹事の私が挨拶をする予定でしたが、彼の言葉で胸が一杯なり、言葉になりませんでした。
この時は通常のリハビリの形ではありませんでしたが、患者さんが地域でその人らしく暮らしていけるために何が出来るのかを、皆で一生懸命に考えた結果でした。当時のことは主治医だった私だけでなく、一緒に働いていた人たちの胸にずっと刻まれていました。我々を結びつけているのは、患者さんに対して一緒に苦労したことや喜びを分かち合ったことなのだと実感でき、今回の学会最大の収穫でした。「脳の後遺症の治療には限界があります。支える側の負担も大きいし、理想やきれい事では生活はできません。本当に大変なのはこれからですよ。」「でも、患者さんがその人らしく暮らしていけるようになるまで診ていくのが、私達の仕事ですよね。」「そういうことです。」
患者さんの辛さやご家族の大変さ、そして私たちリハビリの役割をこのように表現してもらえて本当に嬉しくなりました。治療やリハビリを終えて患者さんは地域に戻っていかれますが、運動の麻痺や言葉、記憶などの障害が完全に元に戻ったわけではありません。
その人らしく暮らせるように、私たちができることは何なのか。これからも皆で考え続けたいと思います。