AIは人間を超えるのか?(2)
ごあいさつ
病院長
前回、一般公開されてちょうど1年が経過した「生成AI」について、我々の想像を超える速さで進化している様子についてお話ししました。ここ1−2ヶ月で、生成AIが悪用される事件や犯罪のニュースを多く目にします。果たしてAIは我々の脅威なのでしょうか?
昨年のちょうど今頃、将棋界は当時“4冠”の藤井聡太王将と“レジェンド”羽生善治九段という二大スターが初めてタイトル戦で激突し、大いに盛り上がっていました。羽生さんは国民栄誉賞を授与された我々世代のスーパースターですが、2018年の竜王戦に破れて無冠となり、2020年以降はタイトル戦から遠ざかっていました。レジェンドという敬意に満ちた言葉も、どこか過去の人というニュアンスが漂っていたように思います。戦前の下馬評では、圧倒的に藤井さんが有利で、ひょっとすると羽生さんは1勝もできないのではないかと言われていました。
長い歴史のある将棋には、「この手が最善手である」という定跡が確立され、それを数多く覚えることが強くなる近道だとされてきました。そのため、プロ棋士の対局は素人には難解で、以前はどちらが優勢なのかさえ解説を聞いてもサッパリ分かりませんでした。
ところが2017年くらいから浸透し始めた将棋AIが将棋界を一新し、人間が培ってきた“感覚的”とも言える方法を一部否定し、新しい価値観を示しました。将棋AIが一手ごとに「評価値」と言われる優劣や最善手を表示してくれるようになり、一手一手の攻防が数字で目に見えるようになりました。「観る将」と呼ばれる将棋ファンが増えたのもこの頃からです。
またプロ棋士においても、AIを使うことに抵抗がなく、その指摘を素直に取り入れた若い世代が、ベテラン勢を相手に序盤から優位に立つことが増えました。藤井さんはその代表格です。AIの指し手に魅了され、早くからAIを取り入れてきた藤井さんは、AIが推奨する評価値が高い手を黙々と指していき、あっという間にトップ棋士に上り詰めました。その指し手は羽生さん以前の世代とは全く違います。現代の棋士はAIを使いこなせるかどうかにかかっていると言えるでしょう。
1,500勝以上の歴代最多の勝ち星を挙げてきた羽生さんでさえ、自在にAIを使いこなす若手に“経験”というアドバンテージが通じなくなっていきました。2021年度の勝率3割台は衝撃で、棋士人生初の負け越しを喫しました。ついには29期連続で在籍していたトップ棋士10名の順位戦A級からも陥落し、このままではタイトル通算獲得100期どころか、出場すら叶わない、そんな状況に追い込まれていました。羽生さんと数多くの対局を重ねてきた深浦九段は、この頃の羽生さんのことを、「羽生さんの将棋がAIに殺されていた時期」と表現しています(森内九段、深浦九段が見た王将戦 羽生善治「その笑顔は未来を照らす」 Number1085号 文藝春秋社2023年11月)。
将棋AIは、ゲームを対象とした「ゲーム情報学」という情報処理の研究分野から生まれました。研究が始まってから50年間、西欧で知性のシンボルとされているチェスで人間を倒すプログラムを作ることが、研究者の中心的な題材でした。そして1997年、何度も人間との対戦を経たチェス専用AI「Deep Blue(ディープ・ブルー)」が、ついに当時の世界チャンピオンだったKasparov(カスパロフ)に勝利し、各国マスメディアはこぞって「AIが人間に勝利した」とセンセーショナルに報道しました。しかし日本では、「敵から取った駒を再利用できる将棋はチェスよりもっと複雑なのでプロ棋士に勝つのは無理だろう」という声が大多数でした。当時の将棋年鑑のアンケートでは、「コンピューターがプロ棋士を負かす日は?」という質問に、ほとんどのプロ棋士が「そんな日は来ない」、「来るとしても40〜50年後」と回答しました。
その中でたった一人「2015年」と答えたのが、その頃普及し始めたばかりのパソコンを駆使してトップ棋士に上り詰めた羽生さんでした。新しいものへの抵抗がない羽生さんは、データ化された過去の棋譜を解析して対局に活用し、並み居る強敵を次々と破って前人未到の七冠同時制覇を達成しました。実際、コンピューターが初めてプロ棋士に勝ったのは2013年ですので、羽生さんは当時から、コンピューターが切り開く未来にいち早く気づいていたのかもしれません。
そんな羽生さんでさえ、「現在のAIは1年経つと最新バージョンのAIに8〜9割負けてしまう。AIが強いのは間違いないが、1年後には駆逐されるということは、AIの出す回答の中に間違いも多く含まれているということになる。絶対的に正しいと思わない方が良い。」と、AIを過信することには慎重な姿勢を見せていました。ところが現実は厳しく、自分の子供の年齢のような若手棋士に屈することが増え、その威光は薄らぎつつあるように思えました。
しかしここから羽生さんの反撃が始まります。(次回に続く)