水を運ぶ人
ごあいさつ
西広島リハビリテーション病院
病院長
病院長
岡本 隆嗣
はじめまして!このブログは患者さん、ご家族の方、一般の方、そして職員にも、 当病院のことをもっと身近に感じていただきたいという思いで作りました。 日々の出来事の中で私が思ったことをつづっていきたいと思います。
今年は4年に一度の世界的祭典、サッカーワールドカップが開催される年です。3月に7大会連続の出場を決め、「今度こそは8強入り」が期待される日本ですが、ドイツやスペインという優勝経験国と同じ予選グループE組になりました。
この予選リーグの組み合わせ抽選会が行われたのが、開催国カタールの首都で、日本サッカーにとっては忘れられない地である “ドーハ”というのも、何か因縁を感じさせます。最も厳しいグループに入ったという声もありますが、このような強豪国との真剣勝負を想像するだけでもワクワクし、今からとても楽しみです。
日本はドーハの悲劇以降の30年で、世界と互角に戦えるようになり、今やワールドカップ常連国となりました。先日ある人気スポーツ雑誌で、『この30年の日本代表チームで、あなたが選ぶ「最高の名将」は誰ですか?』というWEBアンケートが行われました。このアンケートで、ワールドカップ16強になったチームを率いた、トルシエ監督や岡田監督などを抑えて圧倒的1位に選ばれたのはイビチャ・オシム監督でした。本当に残念なことですが、今月1日に80年の生涯を閉じられました。
オシムさんは無名の選手が多かったジェフ市原・千葉を瞬く間に優勝争いをするチームに仕立て上げたように、代表チームにも「考えながら走る」「人もボールも動く」スタイルを浸透させ、遠藤保仁、中村憲剛、阿部勇樹、鈴木啓太らを起用して、“谷間の世代”と言われた中から数多くの選手が飛躍していきました。次から次へと人が湧いてくるような、アグレッシブで魅力的なサッカーで、試合ごとにチームが成長し、今後の日本サッカーの大きな可能性を感じさせてくれました。志半ばで病に倒れたため、代表を率いたのはたった1年半ですが、ジェフ時代を含めた4年半で、日本のファンに強烈な印象を残しました。もしあのまま代表監督を続けていたら、日本サッカーは今より10年進んでいたという声も出るほどです。
オシムさんは哲学・ビジョンを持ったサッカー界きっての名将でしたが、同時に選手思いで愛情を持った教育者でもありました。
試合中にミスを犯した選手には試合後ものすごい剣幕で怒ったそうですが、次の試合でも必ず起用しました。「ミスした選手に何がいけなかったかを分からせ、責任の所在を明らかにしてこそ進歩がある。しかしミスを犯した選手を次の試合で使わないと、その選手は二度とチャレンジしなくなる」と言い、その選手をフォローし、起用された選手もその期待に応え活躍しました。
試合中にミスを犯した選手には試合後ものすごい剣幕で怒ったそうですが、次の試合でも必ず起用しました。「ミスした選手に何がいけなかったかを分からせ、責任の所在を明らかにしてこそ進歩がある。しかしミスを犯した選手を次の試合で使わないと、その選手は二度とチャレンジしなくなる」と言い、その選手をフォローし、起用された選手もその期待に応え活躍しました。
「オシム語録」と言われる数々の名言の中でも、「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に肉離れをしますか?要は準備が足りないのです」という言葉は有名です。当時怪我をして休んでいたジェフの佐藤勇人選手は、この言葉に衝撃を受けると同時に、この監督に付いていこうと懸命に練習に励みました。そして優勝を争う王者ジュビロ磐田との首位決戦。同点で迎えた終了間際のロスタイムに、右サイドを突破した山岸選手から上げられた絶妙のクロスに飛び込んだのは、この試合中、労を厭わず中盤の底から何度も駆け上がった佐藤選手でした。フリーの佐藤選手がヒットすれば優勝をほぼ手中に収めることができる状況でしたが、ボールの軌道が定まらず、引き分けに終わってしまいました。試合後に記者から「最後の佐藤選手のシュートが残念でしたね」と聞かれたオシム監督は、「シュートは決まる時もあれば外れる時もある。それよりもあの時間帯に、ボランチがあそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか!」と答え、試合中フィールドを縦横無尽に駆け回り、チームに貢献し続けた佐藤選手を褒めたたえました
このように、チームのために汗をかいて献身的にプレーし、地味だがチームには絶対なくてはならない重要な人を、オシムさんは「水を運ぶ人」と表現し、いつもそこにスポットライトを当てました。これは戦時下で人々の命を守るために働く尊い人になぞらえた言葉と言われ、オシムさんの故郷サラエボが、ユーゴスラビアの民族紛争の内戦により戦火にまみえた時、オシムさんの妻が水を汲むために、毎日20リットルの容器を下げて5キロ先の排水管まで通ったこととも無縁ではないでしょう。
このように、チームのために汗をかいて献身的にプレーし、地味だがチームには絶対なくてはならない重要な人を、オシムさんは「水を運ぶ人」と表現し、いつもそこにスポットライトを当てました。これは戦時下で人々の命を守るために働く尊い人になぞらえた言葉と言われ、オシムさんの故郷サラエボが、ユーゴスラビアの民族紛争の内戦により戦火にまみえた時、オシムさんの妻が水を汲むために、毎日20リットルの容器を下げて5キロ先の排水管まで通ったこととも無縁ではないでしょう。
オシムさんは結果だけではなく、そこに至るプロセスや失敗の原因を教育的視点で突き詰め、それに応えるように選手たちは、チームの勝利のために皆が「水を運び」、全身全霊でプレーしていました。まるで理想のチームを追い求めてハードワークをしているかのようでした。
このようなチームだったからこそ、その中にいるメンバーが育まれ成長できたのでしょう。今となっては叶いませんが、オシムさんが作り上げたチームが、世界の舞台で戦っているのを見てみたかったと思います。
このようなチームだったからこそ、その中にいるメンバーが育まれ成長できたのでしょう。今となっては叶いませんが、オシムさんが作り上げたチームが、世界の舞台で戦っているのを見てみたかったと思います。