“静脈系”コミュニケーション

ごあいさつ

西広島リハビリテーション病院
病院長
岡本 隆嗣
はじめまして!このブログは患者さん、ご家族の方、一般の方、そして職員にも、 当病院のことをもっと身近に感じていただきたいという思いで作りました。 日々の出来事の中で私が思ったことをつづっていきたいと思います。

 大学に入った後の最初の関門は解剖学のテストでした。2年生後半の骨学の口頭試問では、骨の名前を覚えるのにとても苦労した覚えがあります。その次は血管の走行を習いました。心臓から出発した動脈が分岐を繰り返しながら臓器に血液を届け、再度静脈が合流しながら再び心臓に戻ってきます。人間の身体はよくできているなと思いながら、なんだか電車の路線や道路地図に似ている感じがして、こちらは楽しく学んだ記憶があります。

 

 脳出血、動脈瘤、脳梗塞や心筋梗塞などの血管が破れたり詰まったりする病気は、ほとんどが動脈の病気です。一方、静脈の代表的な病気としては、深部静脈血栓症が挙げられます。一般的にはエコノミークラス症候群という別名の方が知られていますが、これは長時間同じ姿勢でいたり、ベッドにじっと寝ていたり、血流が停滞することで起こりやすくなります。

 確かに人間の身体にとっては、血圧や酸素・栄養素を供給する動脈の方が重要な感じがしますが、血液を循環させるためには当然帰り道である静脈も必要不可欠です。また静脈は、各臓器から老廃物や二酸化炭素を集めて体外に排泄する器官(肺、肝臓、腎臓など)へ運搬する役割や、血管に弾性があり動脈より多くの血液を収容できるため急激な運動や体位の変化に対応して循環系統に安定性をもたらす役割も担っています。やはり人間の身体には、動脈も静脈も両方必要で、特に静脈は身体の組織全体の調和とバランスを維持する上でも欠かせないものと言えます。

 リクルートエージェントの社長時代に、「企業に静脈系を作る」というテーマで講演したことがある。企業で言えば動脈とは、企業活動に必要な情報やノウハウを心臓に当たるトップから構成員に伝達していくルートだ。その動脈ルートは様々で、社是や社訓、ミッション、ビジョン、企業理念などの哲学・信念・思想系のルートを経る場合もあれば、会議、研修、社内報といった情報系ルート、また行動指針や人事評価項目といった指標系ルートを経ることもある。ある意味組織全体に動脈系は張り巡らされているのだ。

 しかし、個々の細胞側にあたる従業員側から見れば、動脈系が運んできたメッセージを全て消化できるものではない。「頭では分かっているけど、なぜか腹落ちしない」ということも出てくる。こうしたときに、不要なものをろ過したり、排泄したりする静脈系が重要になってくる。昭和の企業が行っていた、運動会、社員旅行、納会などは静脈系として一定の機能があったのではないかと思われる。また仕事帰りの赤ちょうちんも静脈系の機能を果たしていただろう。「課長、私もう辞めたいです」と飲み屋で告白すると、課長が「バカ野郎、俺だって辞めたい」と言い出す。そうして本音を語り合っていくと、明日もう一度頑張ってみるか、という気分になっていたりもしたものだ・・・。

村井満(前Jリーグチェアマン)「天日干し経営」東洋経済新報社・2023年

 以前、職場でのコミュニケーションの象徴といえば「飲み会」でした。私の育ってきた時代もそうです。しかし2020年からのコロナ禍で、このようなコミュニケーションの場が、感染を拡大する温床として「悪」とされてしまいました。今となっては、忘年会や病棟で行った野球観戦などがとても懐かしく感じます。またリモートワークなどで直接のコミュニケーションが減ると同時に、業務以外の雑談をする機会も減ってしまいました。

 コロナ禍においてどこの職場も、「動脈系」ルートから一生懸命職員に指示やメッセージを送り続けました。しかし、仕事の指示命令の一方通行のコミュニケーションだけでは、血管のようにどこかで破れたり詰まったりしてしまい、組織の中に不満がたまり、バランスを欠いてしまいます。お互いの素顔が見え、本音が交換できるコミュニケーションも同時に行っていくことが大事です。

 

 今年5月以降は訪日客が増え、出張も徐々に復活し、以前のような状態に戻ってきた感じがします。しかし同時に雇用の多様化が進み、リモートワークなど働き方が変わり、ワークライフバランスなどの考え方が浸透してきたため、昭和の「静脈系」を復活させれば済む話ではありません。

 我々の身体の動脈と静脈という血液の循環は、人間が前を向いて生きていくために必要なものです。組織においても大切なのは、新しい「静脈系」コミュニケーションを作るだけではありません。「大変なことはあるが、前を向いて頑張ろう」と思えるような、“言葉や気持ちが循環する”コミュニケーションを取ることではないでしょうか。